押井守作品を見る、というのは
2008年8月5日 映画 コメント (2)
いえ、好き好んで見つづける、というのは、ちょっと宗教に似たものがあります。まあ、どんな映画監督の作品でも、どんな漫画家の作品でも、どんなミュージシャンの作品でも、執拗に追いつづけ、その周辺(初日舞台挨拶だとか雑誌収録時と単行本収録時とのささいな描き替えとか新作CDが出る前のライブだとか)までをも網羅するような態度はじゅうぶんに宗教的、なわけですが…
押井監督という人は、彼のお好みのかなり限定されたテーマと景色を、ちがう原作、違う舞台で何度も執拗に撮りつづけていて、それがツボにはまらない人なら「またこのテーマかよ」「またこの景色かよ」となる可能性大です。ただ、ツボにはまると「このあと誰がなんて言ってストーリーがどうなるか」なんて全部わかってるのに同じ作品を見に何度も映画館に通ったり、DVDになってからも10回以上見たりするわけです。
たぶんそれは、押井監督が見せる景色が眠りのなかで見るそれに密接につながっていて、精神分析的にいうならその集合無意識的な景色を共有している人が、彼の作品に否応なく惹きつけられてしまうんじゃないか、そんなふうにぼくは思っています。
押井監督という人は、彼のお好みのかなり限定されたテーマと景色を、ちがう原作、違う舞台で何度も執拗に撮りつづけていて、それがツボにはまらない人なら「またこのテーマかよ」「またこの景色かよ」となる可能性大です。ただ、ツボにはまると「このあと誰がなんて言ってストーリーがどうなるか」なんて全部わかってるのに同じ作品を見に何度も映画館に通ったり、DVDになってからも10回以上見たりするわけです。
たぶんそれは、押井監督が見せる景色が眠りのなかで見るそれに密接につながっていて、精神分析的にいうならその集合無意識的な景色を共有している人が、彼の作品に否応なく惹きつけられてしまうんじゃないか、そんなふうにぼくは思っています。
コメント
今回も試写会が、当たったので彼女と見に行きました。
僕的には、けっこうよかったのですが、彼女には、いまいちだったようです。やっぱり、インディ・ジョーンズくらいが無難でしたーー。