今日も朝から、地元TVではアッチェの被災地の映像とレポーターの悲しみを誘う話が続く。どれも、この2週間同じ映像が流れ続け、レポーターの話の内容も一向に変わり映えしない。そう、マスコミの全てが、何かを深く、固く覆い包み、隠している。26日朝、激震を受けたとき、妻は生まれたばかりの赤ん坊を胸に抱いて母乳を与えていた。もし、ベッドの上に寝かしたままだったら、下の固い陶器製のタイルで、赤ん坊の頭は頭蓋骨陥没になっていただろう。あらためて我々に運があることを感じていた。急いで、TVをつけニュース番組を探した。画面には日本のようにいち早くテロップが流れるなど無く、延々とお笑い番組の馬鹿笑いと、濃い目の化粧をした歌手たちの歌が続いていた。その日は、一日待っても、地震の情報、ましてや津波の警報など無かった。我々は、地震の規模の割には大した被害もなかったのだろうか、と安心して少し余震が残る部屋で眠りに着いた。しかし、このとき既にアッチェでは津波で10万人近い人々が亡くなっていたのだった。それから2日間、被害を伝える映像は、ここ北スマトラで最大の人口200万都市のメダン市では流れなかった。ただ、ニュースの合間にキャスターへ現地からの電話だけが時折入る程度だった。このときに既に報道規制が入っていたのではないだろうか。日本であれば、マスコミはすぐに情報収集に関係機関へ走るだろうし、自社のヘリコプターを飛ばしいち早く現場に飛び、最新の映像を送っただろう。あまりにも、静かだった。情報がほとんど無いことに疑問を感じた私は、日本から持ってきていたラップトップで、web情報を日本サイドからとることを思いつき、キーを打ち始めた。画面に現れた現実に、私は、愕然とした。家族たちへ、日本からの情報を流し、友人たちへ事実を伝えるのが私に出来る唯一のことだった。先に話した、ボランティア活動をしている高さんたちは、既にこの28日の時点で、台湾当局と連絡を取り合い、既に医療チームとレスキューチームを飛行機で現地バンダアッチェへ送っていたのだ。海外の情報と対応が当のインドネシア政府、マスコミより速い。何故だろう?? 電話などの連絡網がインドネシアは遅れているのか。否、街では日本並み、それ以上にNOKIA製の携帯電話が氾濫、メールはあちこちで飛び交っている。この携帯がすべてアッチェにつながらなくなった。

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